
※この記事はいじめを助長するものではありません。完全に主観であり、偏見を含みます。
こんにちは、Mikk1です。
ニュースやSNSでいじめに関する話題を見ると、 「いじめ被害者にも原因があるのではないか」 という意見と、それに対する強い反発がセットで語られている場面をよく目にします。
この論争を見ていて、個人的に強い違和感を覚えたため、この記事を書くことにしました。
先に結論を述べると、 「いじめ被害者が悪いこともある」 と、私は考えています。
はい。わかってます。曖昧すぎないか!?ということですね むしろ私が本当に言いたいのは、
・ いじめという言葉の定義そのものが曖昧すぎるのではないか
・ すべてを「いじめ」という一つの言葉で括られ、被害者は悪かどうかの二元論で議論されており問題の本質が見えにくくなっている
という点です。
この記事では、その理由を説明していきます。 なお、ここでは小・中・高校のクラス制の環境を想定します。
いじめの定義について
まず、文部科学省が定めている「いじめの定義」を確認します。
「いじめ」とは、児童生徒に対して、当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。
(文部科学省「いじめの定義」より)
定義を読んで感じた違和感
この定義をかなり単純化すると、
「相手が深く傷ついたと感じたら、それはいじめ」
と解釈できます。
え?????????
最近の多様性の配慮と一緒じゃん....(ボソ)
まあ、国としてこのような定義にする理由も理解できます。 現実問題として、最も大きなダメージを受けるのは被害者である場合が多く、 まず守るべき存在を明確にする必要があるからね。
その意味では、仕方のない定義とも言えますね。
定義に当てはまるシチュエーション
この定義に沿って、被害者視点でいくつかの例を挙げてみます。
集団から無視され、深く傷つく
集団から物理的な暴力を受け、深く傷つく
親しい人との喧嘩で立ち直れないほど傷つく
パートナーに振られて強い精神的ダメージを受ける
コンプレックスをからかわれ、深く傷つく
ふう。趣旨がそれるのでここら辺にしておきます。これらはすべて「定義上はいじめ」に該当します。
これは本当に「いじめ」なのか?
1・2・5は、多くの人が想像する「典型的ないじめ」ですね。
一方で、3や4についてはどうでしょうか。 どちらも本人にとっては非常につらい経験ですが、 これを「いじめだ」と主張すれば、多くの人は違和感を覚えるはずだ。また、4では被害者側が「別れるなら死んでやる!!」なんて言った日にはもう加害者に早変わりですね。そういうところですよね振られるのは。
まぁそれは置いといて、つまり定義に当てはまっても、一般的な感覚では「いじめ」とは言えないケースが存在する、ということです。
よくあるグレーなケース
1・5にもこの場合いじめなのか?というシチュエーションがあります。
1:無視される理由がある場合
極端に空気が読めず、人との距離感がうまく取れない生徒がいるとします。 周囲の生徒は示し合わせて無視しているわけではなく、 それぞれが「関わりたくない」と判断し、距離を取っているだけ。
しかし、本人はそれを「無視された」と受け取り、深く傷つき、不登校になる。 親が「いじめだ」と学校に訴える。
これは本当に「いじめ」だろうか。
人間関係において、合わない相手と距離を取ること自体は自然な行動です。特に私は初見の容姿、声、話し方で関わるかどうか決めるくらいです。 この個人個人の対応の結果として集団的に見えてしまっただけ、というケースも存在します。
5:悪意のない加害
少しぽっちゃりしていることを気にしている女の子に対し、 好意を持っている男子が「でぶ」とちょっかいをかける。
本人は深く傷つき、嫌だと伝える。それでも男子は距離感を誤り、同じことを繰り返してしまう。
これは加害者が悪い行為ですね。反省しなさい。 ただし、強い悪意をもって行われたかというと、そうとも言い切れない。思春期男子は好きな子に意地悪したくなるものです。 しかし、被害者側が加害者によって傷ついたのもまた事実。
このようなケースも「いじめ」と一括りにして良いのか。
「いじめ被害者が悪い」と言われる理由
最初の「無視されるケース」に戻ります。
もし被害者が適切な人間関係を築けていれば、そもそも孤立することはなかったかもしれない。
また、別の例もあります。
過去にいじめを主導していた人物が、立場が逆転し、 周囲から強い反発を受け、不登校になってしまった。
この場合、現在の被害者は確かに傷ついている。 しかし、原因を作ったのは誰なのか。
このような事例があるために、 「いじめ被害者にも原因がある場合がある」 という意見が生まれるのだと思います。
それでも忘れてはいけないこと
もちろん、すべてのケースがそうではありません。
容姿、性格、雰囲気といった本人ではどうにもならない理由で 一方的に攻撃される、完全な被害者も確実に存在します。
だから私は、 「いじめ被害者が悪い」という意見を 全面的に肯定も、全面的に否定もできないと考えています。
言いたいこと
いじめは当然、許される行為ではない。 その前提に立つならば、起きた「いじめ行為」に対して加害者が批判されるのは当然です。
しかし同時に、被害者側の言動や人間関係の取り方に原因が見られるケースまで、すべてを同じ「いじめ」として扱うことは違うのではないかと思う。
もし被害者にも改善すべき点や問題行動が存在するのであれば、それは「いじめ」とは別の枠組みとして整理し、適切に指導されるべきだと私は考える。
現在の議論では、「被害者=完全な被害者」「加害者=完全な悪」という0か1かの二元論で語られがちだ。 その結果、本来は切り分けて考えるべき事象まで、すべてが「いじめ」という一つの言葉に押し込められてしまっている。
このような単純化された議論では、問題の本質にたどり着くことはできるわけがない。論争ごっこをしたいだけの自慰行為だ。
また、人間はそれぞれ感じ方も価値観も違う。
学校関係者には、 「被害者が可哀想だから」という感情だけで判断せず、 状況を丁寧に整理し、加害・被害の両面から冷静に調査してほしい。
ただし、教員の労働環境が限界に近いことも理解している。 この問題は、個人ではなく学校制度全体の問題だとも思う。
また、いじめとは人間関係の最悪パターンです。個々が他人からどう思われるか、これをしたら傷つかないかということを自然に考えれるようになれば傷つく人が減るでしょうね。まぁこれが難しいんですけど、、、
まとめ
・現在のいじめの定義と、一般的な感覚にはズレがある
・すべてを「いじめ」という一つの言葉で括られ、被害者は悪かどうかの二元論で議論されており問題の本質が見えにくくなっている
本音
過去に加害していた人間が、少し自分が傷ついた途端に「被害者」を名乗るのにムカつく。 本当に守られるべき被害者が攻撃されてしまうではないか。
大事なことなどで2度言いますが
この記事はいじめを助長するものではありません。完全に主観であり、偏見を含みます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。